曖昧な述語の私(10)

  • C.Wright, `Strict Finitism', in his Realism, Meaning & Truth, Blackwell, 1986, pp. 107-175.

から論点を一つだけ拾ってみる。曖昧な述語に関してライトはやはり基本的にはダメットの論点は受け入れがたいと考えている。

I believe that[Dummett's response to the Sorites paradox] cannot be the right response, if only because it threatens to open an unacceptable gulf between the insight into his own understanding available to a philosophically reflective speaker and the conclusions available to one confined to observing the former's linguistic practice; (p.166)

ま、これはまっとうな考えだろう。しかし、この論文をそういう眼で読むと何も得られない。なぜなら、

But the Sorites is not the subject of this paper. (p.166)

結論部に書いてある。もっと早く言ってくれよ・・・。

もちろん、何の論点も無いわけではなく、直観主義を哲学的に支持する議論をどう展開することができる(できない)か、つまり「検証可能」とか「原理的に決定可能」とか「有限」といった概念をどう考えるか*1、さらに厳格有限主義(特に「実際に理解可能な10進法展開における数」という述語とか)をどう考えるかについて様々な問題が提起されている(そして基本的に問題だけ)。

というわけで、曖昧さについての論点を一つ取り出すと・・・

以下明日。

*1:直観主義的にこれらの概念がライトが求めるほど明らかにならないのは、ある意味で当たり前のような。なぜなら、直観主義者が直観主義的に認めることのできない概念を用いて、自らの概念を境界づけるわけがないのだから。