大森正樹、『エネルゲイアと光の神学』、創文社、2000.

ある先生に中世哲学に興味がありますと話したら、それならこの本は面白いと感じられるはずだ、と勧められた本。14世紀のギリシャ神学者グレゴリオス・パラマスの研究書。当時パラマスは、イタリアで教育を受けたローマ的な考えの持ち主バルアラムと大論争を繰り広げた。ギリシャ正教、特にパラマスもそうであったアトス山の修道士たちは現世におけるこの身体でもって「神を観る」ことが可能であるとし、短い祈りの言葉を繰り返すことによってそれをしようとしていた。バルアラムはそのような試みは非理性的で根拠のない幻想であると批判する。パラマスはそれに対して偽デュオニシオスなどの権威に訴えつつ、「神を観る」ことの理論的正当化を提示しようとした。この論争は結局、何度かの公会議を経てパラマスの見解が正統とされるに至る。
大きな論争点となったのは、パラマスがその理論化において神のウーシアとエネルゲイアを区別し、人はウーシアにはまったく与ることができないが、エネルゲイアは神の恩寵によって人間にコンタクトが与えられるとしたことが、神の単純性を破棄して二神論になってしまっているのではないかという点だった。本書ではパラマスやそれ以前のギリシャ教父のテキストを丹念に辿ることにより、パラマスのエネルゲイア概念を位置づけ、パラマスにみられる東方キリスト教の考え方を提示されている。研究書ゆえかなり細かい議論も多い。私としてはバルアラムとの論争が中心的に扱われているものだと期待していたが、それは期待はずれだったようだ。しかし、パラマスまでのギリシャ正教の特質は明らかにされていると思う。
「神を観る」という思想は何よりも、神なるキリストが現に我々の前に現前した、という聖書的事実の衝撃から発するものであり、そのような起源としての過去から遠く離れた人間にはどうも理解できないことが多い。