反復的集合観

論文を書く関係上、再読する。どうやら論文には役に立たなそうだけど。

  • G.Boolos, `The Iterative Conception of Set', in his Logic, Logic and Logic, Harvard UP, 1998, pp. 3-29.

最初に読んだときもこの論文には違和感を感じたのだが、今回はかなりのむず痒さを感じた。あるいはより明確に言うと、読後感はある種の怒りでもあった。反復的集合観の捉え方が少なくとも私にとっては的はずれであるように思われた。
この論文はまずstage theoryを作っておいて、そこからZFの諸公理の一部を導出する。しかし、そのstage theoryは反復的集合観を説明するものではないように思われる。まずもって、集合の同一性を決定している外延性の公理が導出されない時点で、stage theoryは集合について論じるものでないと考えられる。それは一般理論を作っているとしてさしたる問題ではない。しかしstage theoryはある段階の次の段階にいかなるものが存在するのかについて語るものではない。そのことは、ZFの公理の導出がなされた後、簡潔に述べられているだけである。だが、そもそもそれを説明する−−あるランクの次のランクにいかなるものがどうして存在するのか−−ことがそもそも反復的集合観の課題であるはずだ。
総じてつまり、stage theoryは集合論的宇宙が与えられたとき、それらをstageによって分類しているのだと思われる。ここには、反復的集合観からすると集合とは何か、という問いがない。

そのように考えて、確かハレットが何か言っていたはずと読み返したら、思った通りのことが書いてあった。

Thus, `formation at s' cannot possibly be interpreted like `formation' in the intuitively presented sense of successive building of new things from given. Indeed, `formation' here can only really refer to the structual hierarchical organization of a given universe of objects. (M.Hallett, Cantorian set theory and limitation of size, p. 222)

ま、私自身がハレットの影響下で読んでいるのだから当たり前のことなのだが。その他にも、ブーロスの論文には置換公理や選択公理の正当化についても納得の行かないコメントが。特に、反復的集合観からすれば選択公理は自然なものだと思うのだが、stage theoryによるとそうではない(という議論があるが、どうも飲み込めない)。このあたりの、もやもやの解明はまだまだ先の課題。