ちと再構成
もちろん、理解でき、かつ再構成できる範囲で。
論理学における「本質主義essentialism」と「実存主義existentialism」*1について。どうやら本質主義と呼ばれているものは、ある論理の解明に対してメタ論理の存在を仮定した上で話をしようとするやり方のようだ。例えばタルスキ的な真理定義、「A∧B is true iff A is true and B is true」において、結合子∧の意味はメタ論理でのandの意味を仮定した上でなされている。そしてこれは−−ここがぶっとんでいるとこだが−−無限の知性を持つ神の存在を説くトマス・アクィナスの神学に対応するそうな*2。で、次のような区分分けがなされた。
本質主義者たち:Kreisel, Tarski, Thomas, Martin-Löf. *3
実存主義者たち:Gödel, Brouwer, Curry, Girard.
一応本人もこのリストに載っているのだが、心づもりとしてはこの対比自身を解明したいようだ。ほいで、いつの間にか量子論理の話へ。古典論理だと量子力学では自然が「間違っている」ことになり、自然を罰することになる。でも量子論理だったらそうはならないのだから・・・というのは、どうやら、本質主義者だと論理の存在が仮定されることの問題点だったのだろうか。
あとはよーわからん。後半はメタの三層構造の話。図式化すると、
Level -1: 古典論理。Truth-value。何が真であるかが問題。例えば誰が殺人犯か。
Level -2: 直観主義論理。Category。どうして真であるかが問題。例えばなぜ彼は殺人犯なのか(妻を殺されたから)。
Level -3: 線形論理。Geometry of Interaction。いかに真であるかが問題。例えばどう殺人を犯したのか(ナイフによって)。
全体として、90年代以降の「証明の幾何学化」の背景になる考えを解説していたようなのだが。