曖昧性

最近また曖昧性についていくつか論文を読んでいるのだが、相変わらずsuper-valuationとかmany-valued logicとかにあまり興味が無い。それを使って曖昧な述語に対する意味論が作れたとき、それはいったい何が行われたことなんだろうか。例えばmany-valued logicで考えたとき、度合をもつ述語の適用って何なんだろう。ある対象に対して述語が当てはまるか当てはまらないかではなくて、0.8だけ当てはまる、とかどういうことなのか。単なる他との比較の問題なのか。「0.8赤い」などの度合をもつ概念を適用するのだと考えるのだろうか。すると、これは我々の使っている概念ではない。改訂主義はどうでもいいし。