フレーゲ本読書ノート (1)

いま片手間で読んでいる

  • Joan Weiner, Frege Explained: From Arithmetic to Analytic Philosophy, Open Court, 2004.

の印象深かったところをまとめておく読書ノート。

フレーゲの『算術の基礎』における概念の外延としての数の定義について(pp. 61-70)。フレーゲは概念の外延は了解済みのものとして、数は概念の外延であるとする。シーザーは外延ではないことは明らかであるから、シーザー問題はこうして解決する。しかし本当に概念の外延が数であるのか。フレーゲは『基礎』では大して説明をしない。一つ考えられるのは、数が概念の外延であることは一見してそう見えないが、詳しく検討してみれば明らかになる、という筋である。ところがフレーゲはこのようには考えていない。
一方で我々は日常的に、数詞を使うことによって対象を取り出し(pick out)、数詞を使ってその対象である数について語ったりしている。だから数が概念の外延であればそれはこの日常的に取り出されている対象と同一であるか、違うかである。後者ならフレーゲは間違っている。ゆえにこの問いは、フレーゲの数定義にとって本質的な問題である。ところが、フレーゲは数が概念の外延であるという考えにはこだわっていないようである*1
フレーゲは何を考えていたのだろうか?彼がもし、我々が日常的に取り出している対象を明確化しようとしていたのであれば、この処置は説明不可能である。ゆえにありうる筋は、そもそもフレーゲは、日常的な数詞を用いた言語活動がある対象を取り出しているとは考えていない、というものである。フレーゲの発言はこのことを裏付けている*2フレーゲによれば、数概念はまだ固定され確定していないのである。しかし、どのような対象を指すかが確定していない固有名詞を用いた文とは、科学において真理を問えるようなものなのだろうか?これは問題ない。科学がその発達の初期の段階にある場合、そのようなことはよく起こる。科学の基本となるのはそれが指示する対象ではなく、真理とみなされる言明のほうなのである。

以上の考察は、フレーゲが算術をその発展の初期段階にあるものと考えていたことを意味する。もっとも古くから発展しており、かくも直観的に明らかとみなされる算術がまだ未成熟な初期段階にあると考えることは、信じがたいかもしれない。しかしフレーゲの考察は、まさにそうだったのである。

*1:『算術の基礎』第107節末尾「この際に我々は、「概念の外延」という表現の意義は知られているものと前提した。困難を克服するこのやり方は、おそらく皆から賛同を得られるわけではなく、その疑念を別のやり方で除去する方がよいという人も、少なからずいることだろう。私もまた、概念の外延に訴えることに決定的な重要性を置いているわけではない。」

*2:『基礎』第63節「我々にとって基数概念はまだ確立しておらず、我々の説明を用いて初めて確定されなければならない、という点を注意しておかねばならない。」