文脈主義

極めて遅くなってしまった某所へのリプライです。

曖昧述語の意味論的値は文脈によって変化するものと考えるべきである、とする文脈主義Contextualismは最近はやってきているようです。一番頑張ってやってきたのはRaffmanで、

  • Diana Raffman, `Vagueness without paradox', Philosophical Review, 103, 1994, 41--74.

が古典的論文だと思います。最近の展開としては

  • Delia Graff, `Shifting Sands: An Interest-Relative Theory of Vagueness', Philosophical Topics, 28, 2000, 45--81.

が注目を集めているようです。これらの著者は必ずしもRaffmanと同様のアプローチであるわけではありません。

文脈主義は論じられるようになったのはまだ最近のことで、議論がさほど進んでいないという印象を持っていますが、とりあえずの批判点としては

  • 文脈主義は曖昧述語を指標詞になぞらえるが、指標的であるからといって曖昧になるわけではない。*1
  • 文脈主義が言う、文脈を一つ固定したときにその文脈での曖昧述語の意味論的値として与えられるべきものに対して、再び曖昧性の問題(境界の存在とか)が発生するのではないか。*2

あたりが挙げられると思います。


で、私自身もvaguenessの問題は認識論的レベルでなくて意味論的レベルで扱われるべきものだと思っています。アイデアはごくとっかかりくらいならありますが全然何にもなってないもので。とりあえず似たようなアイデアを認識論のレベルで展開しているものを追っているところです。

*1:T.Williamson, Vagueness, p. 215.

*2:R.Heck Jr., `Semantic Accounts of Vagueness', in J.C.Beall (ed.), Liars and Heaps, p. 118ff.