三木清、『哲学入門』、岩波書店、1940.

あまり期待していなかったわりにはけっこう面白かった。西田哲学の概説のつもりと本人は書いているが、ベルクソンハイデガーの影響が強いなという印象。行為という観点から常識、知識、道徳などを論じる。矛盾したものの統一という言い方を好むところや、知識を歴史的に考えるときに歴史の目的論を導入するあたりはちょっとどうかなと思うが、全体的に筋は通っているし、もう少し注目されてもよい本だろうと思う。本書の核となる「人間の超越」に関するあたりはよく分からなかった。

ところで。「現実の中で、常識が常識としては行き詰まり、科学も科学としては行き詰まるところから哲学は始まる。哲学は常識とも科学とも立場を異にし、それらが一旦否定に会うのでなければ哲学は出てこない。[...]それ故に哲学は懐疑から発足するのがつねである。」(p.4f)哲学は懐疑から始まるとする哲学観はよくあるが、少なくとも私にはこのような考えはない。常識が「常識として」行き詰まるところ、科学が「科学として」行き詰まるところに哲学など存在しないと思うのだが。