ツェルメロ「数学的体系と無限の論理について」(6)

第五段落。長いです。

原要素のすべての組み合わせからできているこれら基本関係qは、すべてが同時に妥当するのではなく、「真なる」基本関係と「偽なる」基本関係の二つのクラスに分かれる。基底S*1のあらゆる任意の分割(Einteilung)に、可能な真理の割り当て(Wahrheitsverteilung)として「マトリックス」p*2が対応している。*3ここで、あらゆるそのような「真理の割り当て」は、全体が有基底的である体系Sのすべての命題sに対するおなじみの三段論法の規則(syllogistische Regeln)によって、もたらされる。なぜならば、命題a, b, c...から否定と量化によって「導出される」任意の命題tの「真理値」は、それが「直接に依存している」命題a, b, c...の真理値によって常に一意に定められるからであり、例えばまだ【真理値を】割り当てられていないすべての残りの体系Tは、Tに含まれない命題、すなわちすでに【真理値を】割り当てられている命題a, b, c...に依存した命題 t_1を少なくとも一つ含んでおり、 t_1はこれら命題によって一緒に定められるからである。したがって基底Qの任意の真理の割り当ては、体系全体Sのこのような真理の割り当てに対応しており、基底の上にこのように「有基底的である」命題sは、三段論法によって「真」または「偽」として真理が定められる。このように真理を定めることは命題s、あるいはその逆ーsの「証明(Beweis)」として、あるいはその命題の「決定(Entscheidung)」として特徴づけることもできるであろう。*4この意味において、有基底的な体系の任意の命題は基底の真理の割り当てによって決定されるのであり、したがって【その命題を】定義する体系の内部で「決定可能」である。*5「矛盾」律と「排中」律は、「体系の基底」つまり基本関係の総体に対してそれらの妥当性が前提されている限り、あらゆる有基底的な体系に対して妥当する。また、「真なる」命題はすべて「証明可能である」、しかもその命題が「定義」されている量化段階と同じ段階で証明可能である。*6さらに次のことが分かる。「偽なる」命題bをすべてその否定ーbに置き換えて、「真なる」命題だけが残るようにしたとしても、そのような有基底的な体系は有基底的なままである。したがってあらゆる「真なる」命題は、「真なる」命題だけを用いて三段論法によって導出することができる。あるいは言い替えると、あらゆる「間接証明」は「直接」証明によって置き換えることができる。*7

*1:ここだけBasis Sとなっている。おそらくBasis Qの誤植。

*2:基本関係たちに真と偽をそれぞれ対応させる行列(Matrix)。原始命題の真理値割り当て。

*3:このあたりはやはりSatzを文と読みたくなる。命題の真偽が変化するのだろうか。

*4:証明と論理的帰結の概念が区別されていないように思われるこの一文は、ツェルメロに証明や決定可能性についての考察が欠けていることを示しているかもしれない。ツェルメロはヒルベルト学派の言っている問題をこのように解したのだろう。

*5:無限論理なので任意の命題の真理値が現在言われる意味でdecidableであるわけでない。

*6:真理値の決定のステップは、その形成のステップと対応する。ここはまさにゲーデルとのすれ違いを思い出させる箇所。ツェルメロは不完全性定理がもたらすとされた証明不可能な真なる文を認めなかった。

*7:背理法による証明は、対偶の証明に置き換えられるといったことだろうか。正規化にあたる事柄が考えられているわけではないだろう。