G.ドゥルーズ、『意味の論理学』、法政大学出版局、1987.
文とも、物体(身体)とも区別される、独立した領域としての意味=命題*1の世界。もちろん命題は何かを表現するが、命題の機能は表現することだけに尽きるのではない。むしろ、命題はそれが表現すべきところのものを「構成」する、生成変化としての出来事である。そして、命題は命題どうしでつながりを持つ。命題はそれが表現するような深層に縛られない、表層におけるモナド的存在である。といったところか。前半の言語と意味の話はそこそこ分かると思える話があった。後半以降の精神分析の話はよく分からない。何らかの器質的なもの(深層)に求めるのではなく、提示される幻想たちのつながりを探求する点では表層の分析として見られるようには思うが。
総じて論理や言語のことに関して言えば、概念が足りていないように思われた。ここには対象言語/メタ言語といった区別、意味論/証明論といった(とりあえずの)区別はない。使われているのは指示作用/意味作用の話や、シニフィエ/シニフィアンといった、今ではあれって何だったんだろうと思えるような概念たちだ。概念が少ない中で必死に何かを言おうともがいているような姿が浮かぶ。
*1:この本で「命題」と訳されているのはほぼ一貫してすべて文であると思う。命題だと意味がまったく通じない。