きっかけ

こないだの殴り書きの全体の背景になってたフレーズ。とても印象的。

したがって、sから導出されるすべての命題は、それ【推論規則】によって「証明可能」でもある。とはいえ、さしあたって絶対的な、「無限主義的な(infinitistisch)」意味においてである。そのような「証明」は、多い場合は無限に多くの中間の命題を含んでいる。またそのような証明が、どの程度までどのような補助手段によって、我々の有限な理解/悟性(Verstand)に対して明らかなものとなりうるか、についてはまだ何も言われていない。根本においては、すべての数学的命題、例えば「完全帰納法」の推論過程は完全に「無限主義的」であるが、それでもなお、我々はそのような証明を見て取る(einsehen)ことができる。理解力の確定した限界は、見たところここには存在しないと思われる。(E. Zermelo, 'Grundlagen einer allgemeinen Theorie der mathematischen Satzsysteme (Erste Mitteilung)', Fundamenta Mathematicae, 25, 1935, pp. 144f.)

ツェルメロとヒルベルトの考えは、強調点が違ってもやはり共通していたりする。