Ivor Grattan-Guinness, The Search for Mathematical Roots, 1870-1940: Logics, Set Theories and the Foundations of Mathematics from Cantor through Russell to Gödel, Princeton University Press, 2000.

本文600ページ、参照文献数約1900件。だいたいラグランジュからクワインに至る数学基礎論の歴史を概観したもの。この分野の第一人者による壮大なまとめ。歴史家の著述は中立的であるべきと考えているらしく(p.572)、個々の立場の評価は控えられている。*1だがそれは逆にポイントがどこにあるのかよく分からない記述にもなる。結果として、壮大なレジュメ集のようになる。この論文にはこういうことが書いてあり、この時にはこんなことがあり・・・というのがひたすら続く。
基本的にレジュメなので(この人の論文はだいたいどれもそうだが)、知らないとよく分からない。ところが知っていると、どこからどうやってそう言えるのかよく分からない記述に出会う。だが細かな歴史的事項や個々のつながりなどの記述は役に立つ。途中で飽きてくるので読むのはなかなか大変だった。
印象的な言葉を訳して引用しておこう。

様々なパラドクスについて言えば、基礎についてのすべての理論においてそれらが大きな役割を果たしていることを確認してきたが、それらは除去、あるいは解決されるべき「誤り」だった。いわば、思考の欠陥だった。しかしながら、これらパラドクスが「基礎の危機」を促進してきたというよく知られた物語は、近年の歴史的研究によって大きく反駁されており、本書でも支持されるものではない。実際、ツェルメロをありうる例外として、集合論から基礎論研究に向かった人がいるとは疑わしい。カントールは数学の解析における技術的問題に対処するために集合論を創ったのであって、その基礎論的な側面は後年になって初めて出てくるものである。基礎論研究の近年の歴史的サーベイのタイトルをもじって言えば、「危機の神話を遠ざけよ!(Away with the myth of the crisis!)」である。(p.558)

確かに。ここで言う当時の基礎論研究が「数学の基礎が危ないから何とかしなければならない」というものなら、ツェルメロもそんな考えは持っていない。
ではその物語はどこから出てきたのだろう?確かに「数学の基礎の危機」という言葉はワイルから広まったものだけれど、ワイルが意図していたのはむしろ、実数連続体の存在に関するヒルベルトとブラウワーの論争であって、通常意図されるようなラッセルパラドクスや様々な集合論的パラドクスの話ではない。ヒルベルト・プログラム俗流解説あたりに起源がありそうだが、さて。

*1:その割には時にはKerryを持ち上げてしまうようなFregeへの低い評価や、Cantorの後継者のなかでSchönfliesを"the most noisy, though not the most competent"(p.130)と酷評するところなど気になる。