J. Philip Miller, Numbers in Presence and Absence: A Study of Husserl's Philosophy of Mathematics, Martinus Nijhoff, 1982.

フッサール数学論の研究書。この分野は参考になる二次文献が少ないのであまり期待してなかったが、やはりあまりよくなかった。この本の主要なテーゼ、他の人の解釈に反対して打ち出されている解釈は、どれもあまり正しいようには思えない。『算術の哲学』における本来的/記号的という区別を、充実志向/空虚志向の先駆けと見る見解も一見正しいように思えたが徐々に説得力を失った。『算術の哲学』の「心理主義的基づけ」についての『論理学研究』における自己批判が、その論点がどこにあるかについても、それを『算哲』における論理学観への批判と見るのは単にテキスト的に支持されない。
もっとも大きな問題は、『論研』で『算哲』における数学観は基本的に放棄されている、ということを見落としていることだろう。もちろんある面で『論研』は『算哲』の数学観を受け継いでいるように見える。このため、その中間に位置する「計算の哲学」草稿はただの一時の気の迷いのようにしか解釈されない。しかしそれは端的に誤った解釈だろう。
著者は、とっくに放棄されている『算哲』の数学観に固執するあまり、後期でもその価値を認めようとする。しかしそれは、ある理論の意味の構成constructionと、その理論を理解するために使われる見取り図pictureの混同と思われる。例えば完備距離空間を理解する我々の見取り図はほとんど実数平面だろうが、かといって実数平面が完備距離空間の概念の意味を構成するわけではない。とはいえ、constrction/pictureの区別は難しいし、当のフッサールはこの区別を明確にしているどころか、発生的現象学はこの区別をほとんど無視してしまっているようにも思われるわけだが。
それにしても、志向的構造とかノエシスノエマ言われると途端に興味をなくす癖はまだ当分治らさそうだ。