2007-07-12 ■ 日々 某氏の修論検討会。 さっき思ったのだが、主語として登場する語に対してしか値を振らないというのは、たとえ名辞化によってすべてが主語として登場させられるにしても、自然言語全体に対する意味の理論の試みとは言えないだろう。