ダン・ザハヴィ、『フッサールの現象学』、晃洋書房、2003.

フッサールの哲学のとてもいい概説書。ようやくある程度信頼できる、また検討に値する解説書に出会った。とはいえ、たぶん現象学を知らない人が読んで分かるようなものではないだろう。ある程度読んだ人に解釈の道筋を提示するような本。

やはり内的時間意識を持ち出す動機が私にはよく分からない。存在するとは構成されていることである、というテーゼと深く関連することは分かるのだが。内的時間意識の構成はその匿名性ゆえに、現象学の「原理の原理」に反する。このことが示すのは、原理の原理が間違っているか、内的時間意識など存在しないかのどちらかであるはずだ。別にここで志向性分析の「正しさ」について強弁する必要などないのではないだろうか(特に「それは事象そのものが複雑なのである」という逃げセリフを言わなくても)。

一カ所だけ変だと思ったところを。直観作用だけが対象を現前において呈示する志向の唯一の類型であると語り、言語的作用はそうではないと語られる。そこから、言語的作用は直観作用に基づけられたものであるとされ(p.42)、そして言語的意味に先立つ「先言語的経験」の話に至る。そしてこれが言語哲学的なテーゼへの批判であると。しかし、フッサールにおいても事態はそんなに一方向的ではない。というよりもそもそも、言語的作用が直観作用に基づけられているものだというのが謎。存在しない対象を指示する表現とかどうするのだろう。


ちなみに私自身も一応、フッサールを研究しているつもりだ。しかし私が日々読んでいるフッサールの話題は、この本のどこにもまったく出てこなかった。面白いことだ。