M.フーコー、『言葉と物』、新潮社、1974.

よく分からないところは多々あったが、趣味として楽しむ哲学としてはとても楽しめた。終わりの二つの章、経験的=超越論的二重体としての近代的「人間」と、「人間」を巡る人文科学の位置づけに関しては、かなり感銘を受けた。「人間」を解体するものとしての精神分析文化人類学言語学。思えば、自然主義反自然主義の対立は経験的=超越論的二重体のそれぞれ片方の側面を見ているだけなのだ。そういう論争においていつも重要なのは、係争となっている問題を解決することではなく、いかにしてその係争が可能になっているのかということである。そのような場を解体するものとしての言語学、むしろ言語についての哲学。general philosophyとしての言語哲学は終わった、と人は言う。それはたぶん、まだ始まっていないのである。我々はいまだに、フーコーの描いた「人間」の地平にいる。「人間」はまだ死んでいない。