研究は停滞気味

年明けちょっとから「カントールと包括原理」という題で論文を書こうとしていたのだった。それは、前期(といっても1880年代前半)のカントールの集合観について、それをあまりに後期のものと同一視する(しかしそれはそれで極めて明確なカントール像を結んでいる)

  • M. Hallett, Cantorian set theory and limitation of size, Oxford, 1984

や、デデキントからの影響関係をあまりに強く取り、重要な点ではほぼデテキントの集合観と同一視する(しかしデデキントをきちんと扱っている点では類を見ない)

  • J. Ferreiros, Labyrinth of Thought, Birkhäuser, 1999

に反発して、前期カントールにとって包括原理がどのくらいの役割を果たしているかと考えようとするものだった。確かに前期カントールの独自性を読み込もうとするLavineやTaitの議論はこなれてないし、かたやLawvereのトポスとしての解釈はにわかに信じがたいが、かといってそれらを批判して終われるようなものではない。

とはいえやはり前期カントールにおいて包括原理が大きな役割を果たしていることはかなり明らかであって、それに還元されないものがあるとしても、取り出すのはかなり難しい。ということで、ひとまず放置。

代わりに最近はなんと

  • E. Husserl, Versuche zur Philosophie des Kalküls, Husserliana Bd.21, Kluwer, 1983

を読んだりしている。なかなか面白いことが書いてあるのですよ。意外にもw